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日语专业毕业论文格式规范通用(精选7篇)

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『平家物語』における無常観について 篇1

摘要

《平家物语》成文于日本镰仓时代,描写了平氏一家由荣华走向没落的历史。书中以保元﹑平治之乱中获胜的平家和战败的源家之间的对比,以及源平两家争战后对平家的追讨过程为中心,生动地再现了当时处在社会变革中逐渐没落的平安贵族与开始登上历史舞台的武士阶级的社会状况。本研究,基于多次通读这部优秀的战记物语,在深刻理解作品描绘的`日本中世宗教状况以及人们的宗教理念的基础上,对 “无常”的观念如何贯穿作品始终,为何能够在人们心中打下深深的烙印等诸多问题进行了探讨。

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、2 物語の粗筋 篇2

さまざまな変革に迫られていた平安朝の日本は、大陸文化を積極的に吸収する一方、仏教も盛り人々の心に根強く留った。鑑真の東渡、唐招提寺の建設でますます興隆になりつつあった。中世の日本人は仏のことに莫大な関心を持ち、生活の面々にも影響された。平氏の創始者の平忠盛は、鳥羽上皇のため得長寿寺を建てから登殿ができ、一族繁栄の土台を築いたのである。各大寺の座主は必ず親王とか地位の高い公卿とかで担当され、仏教の重要さが言うまでもないことである。

貴族にも関わらず、庶民たちの敬う心も明らかに表わされていた。歌女の妓王は入道殿に捨て去られた後、世間に絶望し、ついに出家した。一時に栄華になった佛でも、という嘆きさえ出て、出家になったのである。現世が不順ならば、来世を求めた方が良い。妓王たちが出家し極楽を求めた果ては、後に後白河法皇 の長講堂の過去帳にも妓王、、刀自、佛などが尊霊と記録されていた。彼らの宿願が叶えたとしても、かなり憐れむことであろう。このように仏法興隆から二三百年の間に、仏教がだんだん本土化また日本化になり、自ら独特の精神教義が出てきたのである。しかし、時は仏法衰微の時期になった。武士豪族の争いで戦争を招き、天下が不安になり続いた。源氏を潰し都から追い払ってから、平氏はまつり事を独断していた。失意した貴族や武士は相次ぎに出家し、来世の福祉を祈ることが多かった。動揺した態勢が人間を恐慌させ、諸行無常の観念もいつの間に人々の心から生じ蔓延り、仏教はこのように俗世間を離れる最もいい口実となった。

。この哀唱をはじめとして、平家十二巻を貫くものは、無常観であり無常の哀感である。いわゆる、つもり変化の意を表し、世間の物がいつも無限の変化にあったという仏教の基本的認識である。の生まれは、日本列島独特の自然環境にも深くかかわったと思う。地震、火山、津波、日本民族は昔からこのような災害で生きていた。人間の死去、建物の壊滅、これらの全ては人の精神状況に影響し、存在することがいかに実在的でなく、幻の感覚までも出てきたのでしょう。しかし、広く伝わる仏教こそ、その無常の現れの重要な要素だと思う。なぜ大陸から伝来した仏教が日本国でこんな差異が出たのか。またその異化された仏教に対する認識は、を形成してきたのでしょか。その両者の間に、きっと何かのかかわりがあるのである。ならば、宗教の面から、そのの起源を辿りしよう。

、3 物語における仏教思想 篇3

3、1 神に恵まれた国

長く狭くて、また海に包まれる土地、それが日本列島である。島国として、自然環境がきびしいどころか、時々地震や火山や津波の災害も起こり、結構大変であった。こんな状況で生きてきた日本民族は、言うまでもなく大自然に尊敬かつ怯える感じが生じられなくてはいられなかった。農業生産の豊作や一族の繁栄安全など、これらの不安定な要素をすべての意志とされば、やがてという言葉が出てきたのである。祖先の崇拝や形のない霊を祭る中で、自然の大いなる力に恵まれているという気持ちも抱えられてきた。『古事記』の編纂により、始めて文の形で日本国と日本人の由来の伝説などを述べ、神の子孫としての誇りが明らかである。

祖先や自然神を尊崇しながら形成したものは、民族宗教であった。それは他の民族の宗教と同じく、最初は単に村全体の繁栄や安全のため祈った行事であった。村人は神社を作り、そこで祭りを行うことにした。古墳時代後期になると、農業生産の進みにより社会の変化が大きかった。家族、氏族などが生まれ、それに対して相応の氏族神も誕生したのである。にもかかわらず、信仰される神が変わっても、その祈りの本質は変わらなかった。こういう時期の民族信仰は、まだ個人的なという念願を実現するために存在していて、教義や理念などは全くなかった。無知な人々は厳しい生存状況で生きられるため、常に神に恵まれるというような感じが生じた方が、心の安らかさができるでしょう。これは最初のというものである。やがて日本社会の発展に伴い、国家の形で政を処理するには、もっと優れた制度が望ましかった。海の向こう、大陸の中国から国政を学ぶ同時に接触した新たな宗教――仏教も日本の舞台に上げたのである。

日语专业毕业论文 篇4

近年随着语言教育的不断发展,语言专业学生数量剧增。随着日企进入我国,日语专业的学生数量明显增加,但毕业后能否找到与本专业相符的工作成为各界关注的焦点,同时也是我们日语专业学生关心的问题。本次研究主要是站在未毕业的日语专业学生的角度,思考并研究日语专业就业问题,为本专业学生提出建设性方案。

一、研究概况

1、研究目的。通过分析日语专业学生就业问题,找出与之相对的应对措施,帮助日语专业学生在掌握原有的日语专业知识基础之上,找到符合用人单位要求的其他技能要求。

2、研究对象。本次研究主要以我院2009~2012级日语专业毕业生和目前在校的日语专业学生,以及常熟市范围内(主要以东南开发区为主)的日资企业的人事部门、日语专业的从业人员为主要调查研究对象。

3、调查研究方法。主要是采用数据分析、问卷调查辅助的市场调查、电话邮件采访以及文献查找法来展开研究。

二、研究内容

1、在校生现状。对目前在校生现状包括课程安排、校方培养计划进行资料整理,列出日语专业学生在校所学内容。通过分析得出目前哪些课程是对工作影响很大,哪些是未涉及到而企业恰巧需要的。

2、毕业生调查。从近年来我校日语专业毕业生情况,包括毕业前志向、毕业后实际从事职业以及在其工作中日语的使用比率等,来分析目前日语专业学生的就业方向和选择。具体列出脱离日语工作、单凭日语工作以及日语与会计、IT、管理相结合工作的比率。

3、用人单位需求。从市场需求的条件、用人单位对日语专业毕业生其他方面能力要求方面出发,进行调研,得出市场调查结果。

三、研究调查结果分析

1、课程内容分析。根据日语专业四个年级课程安排及培养计划,得出如下分析:

①基础知识方面:日语会话、听力、语法、口译、作品选读。

②操作实践方面:日语文字处理、日资企业见习、日语演讲、国际会展实训,学年设计。

③翻译方面:基础日汉互译、商务模拟翻译、高级口译。

④商务方面:商务日语会话(新设:商务日语写作、电子商务实践)。

⑤其他知识扩充:职场英语、国际金融、进出口贸易、报刊新闻选读。

企业所需要的学校课程都有涵盖(企业所需由后文4可知):会话(商务日语会话)、写作(商务日语写作)。课程中未曾涉及日语商务电函,不过这一课程有开设英语商务电函,我们应自行弥补学习。我们所欠缺的是:

①对自己感兴趣领域的涉足,应当自行学习培养。

②对启蒙基础知识,未掌握、实际运用那少,应当扎实掌握,利用学校提供的实践机会。

2、毕业生调查结果分析。我们采用自制的“日语专业学生毕业生情况调查”问卷,运用随机抽样的方法。通过网上问卷的方式进行,还有部分采用电话询问的方式,将得到的回答也已以数据形式反映(样品数为115,回收的有效问卷63份),具体问卷内容及数据分析如下所示:目前从事的工作是以下哪个方面?由数据统计可以得到,2009~2012级日语专业毕业生目前从事与日语专业无关的工作占总数的20、63%,其次则是单凭日语工作的为19、05%,剩余均为从事日语+其他。由此归结出,日语专业毕业生在实际就职中大部分都是将日语结合其他技能进行工作的。结合最多的有:财务、人事、计算机、采购、其他(包括国际贸易、市场营销、产品设计)。另外,通过电话访问得知:从事日语结合金融、人事、计算机的毕业生均在毕业前取得相关证书。从事其余类型工作的毕业生反映,企业有入职后的专门培训与学习。关于问卷中涉及的日语毕业生“实际工作环境中用到日语哪方面更多”这一问题调查,有77、78%的毕业生表示会话在实际工作中用得更多,仅次其后的听力为69、84%,写作则为30、16%。此问题主要是为了调查日语专业学生在实际工作中日语的有效利用率。同时,也一定程度地反映了课程与实际的差异,从而得出我们应该加强哪一方面的训练,并及早地发现自己是否背离日后工作的需要。结果显示,会话与听力占比例最大。当然,从电话采访中可知,日语翻译与文案编辑者,仍会用到写作。因此要看个人选择,但是从调查结果可以看出的是:会话与听力为每一项日语工作者的最重要的能力。“在工作中最后悔没具备哪方面知识?”统计结果显示:日语专业知识使用(商务、金融)为42、86%;计算机方面知识为12、7%;企业岗位专业知识为7、94%。本题则是为了发现工作中应具备的其他能力大多有哪些,帮助在校生利用剩余时间进一步武装自己,多学以备不时之需,但也并非遍地撒网,而是有目的地扩充知识。由此看出,日语专业毕业生在实际工作中,还需具备或应当扎实的知识技能有:其他外语、日语敬语、邮件函电、具体领域术语涉猎。

3、在校生现状。在校生现状主要包括心理现状,对日语以及课程、未来走向的态度看法调查。通过网上问卷的形式对目前日语专业学生进行了问卷调查,以此为了进一步发现学生对课程的反应与实际要求相比的差距性。调查结果如下:当初选择日语专业原因?有44、68%的学生表示没有目的地选了日语专业(服从调剂),有38、3%的学生表示自己是对日语及日本文化感兴趣;8、51%的学生为了以后就业;仍有8、51%为了去日本发展。另外,对于“除了日语,你是否还获得了其他类的证书”的问题调查,从问卷结果看出68%的学生目前暂无,剩下的32%中以计算机和会计为多。从在校生的现状及其对日语专业的态度进一步推进研究的进展,得出大多数日语学生的意图与态度是积极的,并且有大部分的日语专业学生已选择将日语结合其他技能作为自己日后从业的砝码。

4、企业市场调查结果分析。以常熟地区主要是东南开发区以及周边的日资企业(三菱电机自动化、东南相互电子、纬创资通、丰田物流)的人事主管为对象,主要采用问卷辅以问题采访的形式调研,部分采访则是通过日语从业人员的传达完成。内容主要是日资企业对日语专业毕业生的知识结构和工作能力的要求以及相关建议。采访内容:

①目前公司是否需要日语专业人员。

②日语从业人员的主要工作岗位或是负责范围。

③对日语专业人员的相关标准,是否硬性规定证书获得。

④应届毕业生是否受欢迎,工作中更需要口译还是笔译。

⑤除了日语,还需具备哪些技能。

⑥用人单位对日语专业学习者有哪些要求和建议。

受访用人单位回答总结如下:用人单位对日语的口语要求更高,但同时也补充了,岗位不同要求也会有一定不同(日语翻译则侧重于翻译水平和写作能力,不过大多数公司都是复合岗位,口语是基础)。受访用人单位表示,希望毕业生会商务电函基本回复,具备基础的计算机操作技能(办公软件足以),具体的领域专业知识,毕业生不必太拘泥,企业会有后期培训。对于能善于表达自己、有明确主张看法,并能及时处理事物的人,用人单位表示很乐于采用。受访者认为从业的日语毕业生的欠缺之处是缺乏自信、不善表达自我主张。日语从业人员的从事的不单是日语,大部分为:采购员、会计或出纳、秘书、业务担当、总务、翻译、市场销售、财务秘书。另外,用人单位受访者还表示,应届毕业生受欢迎,有前途,是年轻血液。同时表明,对求职者的要求不是刻板不变的,证书不是硬性要求,主要看重你能否听得懂说得出。有些水平是可以在日后锻炼出来的,但并不代表不要求会,前提是你要会并能说出,水平是另一回事。

四、调查综述

综合上述的调查结果分析,日语专业课程安排与企业要求大致是相符的,也是更趋于实践实训,但日语专业学生欠缺的是将基础学习扎实。根据调查得出,公司口语与商务日语会话这两项是重点。对于复合型人才,根据调查数据可知,企业更倾向于具备金融和计算机或者其他专业的日语毕业生。而大多数人都只是在单一的语言文字上熟悉,其他知识面较欠缺。企业所需要的人才趋势是综合能力较强的复合型人才。根据毕业生的调查可知,金融与计算机等复合技能是有必要的。这是目前得出的有利于在校生的有用信息。在此基础上,在剩余时间熟悉某一领域则更能适应用人单位择人要求。要有所长也要有专长。以上就是此次调查研究的总结与汇报。希望能对日语专业在校生起到一定作用,为以后努力的方向提供一些帮助与启发。

五、结语

本次研究调查为期十个月,课题小组第一次站在未毕业日语专业学生的角度去研究日语专业毕业生就业问题,从而找到让自己适应就业需求的有效方法。整个研究过程从前期的`资料收集以及汇总搜集毕业生的联系方式、设计调查问卷、在网上公开问卷并收集,到后来的在招聘会现场进行市场调查,进行电话采访、用人单位采访、与毕业生交流,这每一步的进展都离不开小组成员的分工与合作。问卷的设计是小组成员集体智慧的精华,虽说可能并不能代表所有学生的心声,但也应该能反映绝大多数学生的想法。在研究过程中,有些采访问题也是主要依据研究方向而设置的,未能做到具体细微,但精华与有用信息已写入报告。希望本次研究调查能对日语专业在校生起到一定建设性作用,为以后努力的方向提供一些帮助与启发。最后,我们还要感谢李敏英老师的指导以及赵静、王京钰、闫飞老师为我们提供的帮助。

参考文献:

[1]常熟理工学院日语专业本科生培养方案及培养计划[Z]。

[2]刘琦霞。浅谈国际化和日资企业所需的专业人才[J]。对外经贸实务,2009,(5)。

[3]秦秋,程冷杰。复合型外语人才培养的研究与实践[J]。中国大学教学,2006,(9)。

[4]黎娟。日语专业学生的就业前景[J]。企业家天地,2009,(10)。

章 仏教の日本化 篇5

紀元522年百済明王は使節を派遣、日本に仏像を献じた。よって、仏教が朝鮮半島から正式的日本へと伝わってきた。『日本書紀』によると、その献上した仏像を祭るかどうかについて、当時の欽明 の大臣たちは激しい論争に陥った。崇仏派の蘇我氏はと述べたけれども、一方排仏派の物部氏はと強く反発したのである。両大派閥の対立は五十年あまりという、長い時間に続いた。仏教の初登場が激しい反対の声に遭遇したのは、上記の言うとおり本来民族宗教がすでに存在しているほか、当時の政治体制にも深くかかわっていた。朝廷を左右した力は、豪族保守派を代表する物部氏や、新興貴族を代表する蘇我氏であった。前からも帰化人や大陸文化に接触し先進文化に影響された蘇我氏は、仏教を引き入れる機会で、物部氏との闘争に劣勢に処する一族の権力を固めようとした。しかし、伝統権威や民族宗教を支柱とした物部氏は、外来神の仏の伝来に対しては必ず反対の声を響かせるしかなかった。それにもかかわらず、歴史の進むプロセスはいつも止まることがないのである。どんどん政を独断してきた物部氏に、やがて皇室からの不満が出てきた。聖徳太子と手を組んだ蘇我氏は物部氏を潰してから、新たな宗教――仏教がようやく日本全土に伝わることができた。

要旨 篇6

紀元3世紀ぐらいには、すでに日本列島と中国大陸の交流があった。大国文化に対する憧れを抱えて、中国への留学生が派遣された。遣隋使、遣唐使など、時代によってさまざまな呼び名があるけれども、彼らの背負った使命や志が変わることはなかった。律法、制度の導入につれ、東南アジアに盛んでいた仏教がますます注目された。仏教の伝入がもっと前のことであったが、最初はただ貴族たちだけの信仰となっていた。最澄、空海などの留学僧のおかげで、仏教が咲き誇る花のようにだんだん日本各地に、上から下まで広がっていく。しかし、たとえ仏教の世と呼ばれる平安時代派も、いよいよその時代を迎えようとした。時は紀元12世紀半ば、平家一族の盛衰史を生き生きと描いた『平家物語』における時代である。

様々な人物を刻んだこの物語が、壮大なる戦争の場面を見せてくれる。『平家物語』のシンボルとして、無常観がよく知られている。本論文はそのの解読を検討しようと思って、三つの部分になっている。第2章において、まずは物語の紹介や粗筋などを見てみた。第3章において、前回に提出した問題に応じ日本化した仏教について説明した。第4章において、の源について探究してみて、また『平家物語』における様々な人物の例を分析した。以上の研究を通して、『平家物語』とその中に溢れる無常観に対する認識を、もっと深めることができよう。

章 所謂 篇7

2、1 物語の成立

平清盛を中心とする平家一門の興亡を描いた歴史物語で、としてとよばれたが、古くはの名で知られ、3巻ないし6巻ほどの規模であったと推測されている。それがしだいに増補されて、13世紀中ごろに現存の12巻の形に整えられたものと思われる。作者については、多くの書物にさまざまな伝えがあげられているが、兼好法師 の『徒然草』によると、13世紀の初頭の後鳥羽院 のころに、延暦寺の座主慈鎮和尚のもとに扶持されていた学才ある遁世者の信濃前司行長と、東国出身で芸能に堪能な盲人生仏なる者が協力しあってつくったとしている。後鳥羽院のころといえば、平家一門が壇の浦で滅亡した1185年から数十年のちということになるが、そのころにはこの書の原型がほぼ形づくられていたとみることができる。

この『徒然草』の記事は、たとえば山門のことや九郎義経のことを詳しく記している半面、蒲冠者範頼のことは情報に乏しくほとんど触れていないとしているところなど、現存する『平家物語』の内容と符合するところがあり、生仏という盲目の芸能者を介しての語りとの結び付きなど、この書の成り立ちについて示唆するところがすこぶる多い。ことに注目されるのは、仏教界の中心人物である慈円のもとで、公家出身の行長と東国の武士社会とのかかわりの深い生仏が提携して事にあたったとしていることで、そこに他の古典作品とは異なる本書の成り立ちの複雑さと多様さが示されているといってよい。